自宅から車で少し走った所にある、K展望台からの眺めが好きだったり。
まあ、山と空しか見えないのですが(
え?ここから私の住まう集落(写真中央)を望むと、ホントに空に近い場所だなぁと実感します。↓

もちろん標高だけ見ればもっと高地に位置する集落はありますが、ここの場合は、なだらかな山々に包まれてわりと広い面積に渡って高地に位置しているために、そう感じられるのかなと思います。
だから、夜には月や星が怖いくらいキレイに見えるのも当然で。
今なら天の川もフツーに見られます。
↓とある夕暮れの三日月を、自宅の前で撮影。何とも可愛いのです。

無数の星々を眺めていると、単純に、その星々と自分との間に大気層以外何も遮るものがないことに、ひどく贅沢をしている気分になるのです。
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一応陶芸やってる人間のブログなので、少し真面目に美術館・博物館・ギャラリーでの常設展、企画展、特別展等の見聞録を記してみんトス。
第一弾は、鳥取県伯耆町の
植田正治写真美術館。
のどかな田園風景の中に突如現れる、近代的建造物。でも不思議と、さほど違和感を感じない。
建物内部も落ち着いた雰囲気で、ゆっくりと鑑賞することができる。

植田正治氏は、1913年境港市に生まれ、郷土山陰を舞台に独自の写真世界を次々に展開し、2000年に死去するまで、多彩なイメージを世に提示し続けた写真家である。
植田氏の代表的な作風はリアリズムの対極にある、モデルにカメラを意識させ、構成に気を配る演出写真。(勿論リアリズム作品も多数ある)
鳥取砂丘を背景にした一連の作品では、鳥取砂丘という異世界的な場所で、人物や小道具をオブジェのように配置し、写っているものは確かに現実のものであるはずなのに、まるで時空を超えた不思議な空間に彷徨っているかのような錯覚を起こさせる。
そして私が強く共感させられるのは、植田氏の多くの写真に滲み出る遊び心。
見る側が思わずくすっと笑んでしまう演出がなされていたり、何でもないものや見慣れたはずのものでも、植田氏のファインダーを通すとそれだけで、何故だか可愛く見えたり可笑しく思えたり切なくなったり、何らかの感情を呼び起こされる。
もののかたち、に対する並々ならぬ注意力と、その見せ方の独自の感性、がなせる業なのだろう。
また「撮りたいものしか撮らない、いや、撮れない」と言い切ったところも大いに共感(笑)。表現や物作りを生業とする者は、時に意に沿わない仕事もせざるを得ないが、やはり究極は、好きなことを好きなようにやっていきたいわけで。植田氏の場合、「私なりの写真」を好きなように続けるために、アマチュア精神を持ち続けたそうで(プロ意識かアマ精神か~の問題はまた別の大きな命題なのでひとまず置いておくとして・逃)、確かに、やりたいことをやらなければ、「今の」「自分が」する意味がないのだ。
以下、続きを読む、で特別展「つゆのひとしずく展」の話など。
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